壱拾壱  賄賂@ウズベキスタン


 
 史は必ず繰り返される、故人はなんともすばらしい言葉を残したものだ。
前回のブルガリアでの出来事から半年、私はウズベキスタンにいた。
ブルガリアでもそうだったのだが、旧東側諸国というのは外国人に対して寛容ではない。
日本やイギリスのようの単一民族国家にも同様のことが言えるのだろう。
違うのは国民性が排他的であるかそうでないか、ということである。
つまりイギリスや日本は国民性が非常に排他的で何か異質なものを排除する傾向にある。
これに対して、旧東側諸国は国民性はどうであれ国家権力がそういう傾向が強いのだ。
つまり国家権力(警察)が脅威を振るう旧東側諸国なのである。

 ズべきスタンもCIS諸国の一員であるから、外国人に対して寛容とはいえない。
もちろん冷戦が崩壊して実情は変わりつつあるだろうが、外国人が旅行する環境は未だに
完備されていないというのが現状である。
前置きが長かったが、そんなウズベキスタンへ旅行した時のお噺。

 の国を訪れる外国人は一様に当局へ外国人登録をしなければならない。
昔はオフィスへ出向いて申請しなければならなかったのだが、
今は各ホテルで宿泊証明書のようなもので代用できる。
けれども例えば3泊したら、3泊分全ての証明書が必要になってくるわけだ。

 はかの国で11日過ごしたのだが、10日分しか宿泊証明を持っていなかった。
それは到着時間が夜だったので、空港で夜を明かしたからなのである。
さっそく私を捕まえた警備員が詰め寄ってきた。
「宿泊証明が全てそろっていなければ国境を越えることはできない」
彼は当然の権利のように主張してきたのだ。
私は当時日本人2人と一緒に越境を試みていたのだが、彼らの書類には問題はない。

 温50度の炎天下での押し問答が始まる。
その警備員は決して国境検査官、つまりスタンプを押してくれる人ではないのだ。
だから本当に私はスタンプを押してもらえるかどうかわからなかった。
そこへふらふら〜っと、モンゴル系の顔をしたおばちゃんがやってきた。
後で知ったのだが、ウズベキスタンーカザフスタン国境でトラブルに巻き込まれる
外国人をお節介を焼いてくれるおばちゃんであった。
彼女は…
「お金を包んで渡せばいいんだよ」
その手はUSD50を示していた。

 化というのは恐ろしいものである。
賄賂が当然の文化として根付いているこの国は、チップすらない日本人の私には
到底理解できるものではなかった。
医者に治療してもらうためにも治療費の他に賄賂が必ず必要となってくるのだ。
しかも賄賂を多くくれる順から診察するというのだから驚き。
これを腐りきってる、といえるかどうかわからないがこれがこの国のやり方なのである。
「郷に入らば郷に従え」
確かにそうなのかもしれない。
それに今回落ち度があるのは完全に私のほうでもある。

 切り交渉の結果、私はパスポートにUSD20をはさんで渡すことになった。
今思えばこれでも破格の授業料だったのかもしれない。
けれども当時の状況には様々な足かせがあったのだ。
まず私は3人で越境していたということ。
私がモメている間は、彼らは私のために同じ炎天下で待っていなければならない。
そんな彼らを無視してまで強情になれるほど私には度胸はない。
2つ目に私が入国する5日前にアメリカ大使館とイスラエル大使館に同時爆破テロがあった。
それから私が出国しようとする3日前までカザフスタンとの国境、
つまり私が立っている場所が閉鎖されていたというのだ。
だから今度いつまた閉鎖されるわからない国境で追い返されたら私は困るわけである。

 事情により、私はお金を払うことにした。
歴史は必ず繰り返される、必ず。
これからも払い続けるであろう私の賄賂人生。

 当に毎回良い勉強をさせてもらっている世界という教室に感謝である。














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