噺  旅をする人しない人


 
 不精、これはもちろん国内からという意味である。
かなり外国は近い存在になってきているはずではあるが、
ある人達の中では飛行機やパスポート、外国といった用語とは
無縁の世界での生活を送っている。

 校2年生の夏休みくらいから父から外国へ行けと言われていたものだ。
父の嗜好などから出てくる国は「トルコ」だったのだが、
私も不思議と世界史の知識の中からトルコという国を抽出していた。

 ちの父はなぜ高校生時分の私に海外旅行など大それたものを勧めたのだろうか。
父は海外へ出張はするものの、自分で海外旅行をした経験はあまりないだろう。
それは時代のせいもあるかもしれないし、家庭環境がそうさせなかったのかもしれない。

 分の知らない世界を知る、知らない文化に触れる、知らない人と出会う。
別にそんな命題を背負って世界中を歩き回っているわけはないのだが、
確かに自分の知らない人に会い、モノを見る機会は不足しないだろう。
それが私に何を教えるのか、また何を与えるのか、今の私にはわからないのかもしれない。

 方旅行をしない人達も当然ながら存在する。
旅行に何十万というお金を使うならば、彼女やオートバイにつぎ込む人も当然いるだろう。
彼らだって、海外旅行は行ってみたいはずなのである。
しかし、例えば英語が話せなかったり、危険だという先入観から遠ざける傾向にある。
ここで大事なのは、行ってはみたいが行きたいとは思わない、ということ。
同じ旅行なら隣県の温泉に入りおいしいものを食べに行く旅行を選択するのだろう。

 は旅行しない人を否定する気は全くない。
むしろ、その違った価値観を共有してみたいとすら思うのである。
社会人になり旅行できない体になる私にこの旅行という呪縛から解き放ってほしい。

 だ思うのである。
恋人や、きらきらのアメリカンのバイクには代わりはいくらだってある。
けれども人格形成段階の自分というのはどこ探してもいない。

 なくとも私は子供にたくさん話を聞かせるだけの武勇伝を集めながら旅行をしている。
 
















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